人生かっぽ

人生かっぽ —佐藤大地ブログ

哲学、言葉、人生観、仕事、恋愛、など人生をかっぽするような物語をつむぎます。宮城県 仙台市を主な活動拠点とする佐藤大地のブログです。2014年からEvernote公式アンバサダー。大学院では政治学を研究していました。

周りに愚痴ばかり言う人を救うコミュニケーション

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いや、全然わかってないから!
せっかく人間関係を良好にしたいと思っていたのに、嫌われてしまった。

ということがまさに繰り広げられているカフェの席の横で、ぼくはさっきから恋愛と食事についてのブログの原稿を書いていた。
世界は今日も正義と悪を分けて戦いを繰り広げている。


https://www.evernote.com/l/ACYwM6yYp2RIQbST1HFWRQKdxqGd0W_zK1UB/image.jpg


誰か悪者に仕立て上げると、ぼくらは随分と楽になる。


実際にはそれほど世界は単純ではない。
いつぞや流行った歌のように
人はそれぞれ正義がある。争い合うのは仕方ない。だけど僕らの嫌いな彼も彼なりの理由があると思うんだ。
そういうドラゲナイ的な感じで、実際のところはいろんな人がいろんな立場から正しいことを語っている。
だから複雑だ。

それでもぼくらの目の前で悩んでいるその人のことを、ぼくらはけっこう好きなことが多く、ただし話を聞いていると「あちらさん」の話もわかったりするし、今目の前で悩んでいるこの人の気持ちも「なんとかなるかも!やってみる!」って笑顔にしたいから、できるだけアドバイスしたくなる気持ちもわかる。

だからさっき
「けど、なんか言い分もあるんじゃない?その人の?」
と言った長髪の彼女、スタバクス子(仮名)さんの発言はたしかに状況をなんとか改善したいという優しさから出てきたのだと思うのだけど、無意味だ。
その向かい側でプリプリ怒っているフラぺチ子(仮名)さんには、今まさに愚痴を向けている相手は「絶対悪」なのだから。

例えば職場で何か問題が起きたとき。
頼んでいた仕事を相手がやってくれないとき。締め切りを守らないとき。
そういうとき、ぼくらは相手を悪く言うことで解決する。
相手を悪く言ったほうが楽だからだ。全てその人の責任。ラク

ただ、人間の性質はそう簡単には変わらないから、また同じようなことでミスが起こる。
本当は相手を変えるよりも自分が変わった方が解決は早い。

相手が締め切りを守らないなら、締め切りを早めに設定するとか、会ったときにその場でやってもらうとか、仕事を細かく分けて少しずつやってもらうとか、工夫は100も200もある。

けれど、大半の問題はもはや状況改善のスタートラインにすら立ってない時の場合が多い。
そう、今回のフラベチ子さんのように。
そしてぼくも内なる怒りがすごいので、よく友人に諭される。


こういう状況改善のスタートラインに立ててない場合。
まずは「相手を絶対悪に見えている状態」を少し柔らかくすることから始めるしかない。とぼくは思う。

ぼくが友人に言われてハッとする問いかけがあった。

「その人の良いところってたった1ミリでもあるのならどういうところですか?」



この質問のポイントは
①質問の前にまずは愚痴を聴きまくること
②そこでこの一言
③「1ミリでも」を強調する
④良いところが「ありますか?」と聞かないこと

相手は基本的に愚痴を吐き出し切らないと、ぼくらが何を言っても答えてくれない。だって相手は溜まっているのだから。汚い話をすると、おうぇえっぇぇええええって今にも吐き出したい人に「ほら、この漬物食べてみない?♪」とか言っても殴られておわりだ。
だからまずは吐き出させて、そこから初めて問いかけることができる。

それから「1ミリでも」を強調したい。
相手は全くもって悪い部分しか見えていない。こういうとき、「相手の良い部分ってなんですか?」とか聞かれると、ものすごくしっかりした良い部分をあげようかと思うけど、結局あげられない。
ニンジン嫌いなのに「ニンジンの美味しいところってなあに?♪」とか聞かれると殺意しかわかない
思い返してみるとそうなんだけど、好きな人ほど小さいことも褒めてあげられるし、良い部分に気づく。小さいゴミを拾っていたり、挨拶をしてきたり、花に名前をつけていたりしていても「なんて素敵な人なの」って思える。これを嫌いな人がしていても、「たまたまじゃない」とか思ってしまう。花に名前をつけていた日には「気色悪い」と言ってしまったりする。人間は残酷である。

だから「1ミリ」と言う。無理そうなら「0.00000001ミリでも」って言う。それくらいほんのちょっとのことを言ってもらう。
それがまずは相手を認める突破口になる。

そして最後に「ありますか?」ではなく「あるのならどういうところですか?」と、あることが前提で聞く。
「ありますか?」と聞くと「ない」と風速480キロくらいで一蹴される。
だから、「どういうところですか?」って問う。

こういうことを踏まえて質問する。
すると相手が「また、愛想だけはいいよね、あの人ね。その愛想がムカつくんだけどね」とか、皮肉交じりであげてくれることがある。大成功だ。
そしたら少し、また少し、愚痴が出てくるからそれをまた聞く。

今日はそれでいい。
深くは望まない。


愚痴られる。
どうしても相手の立場に立たないととか、改善をちょっとでも良くしてあげようとか思って
「その人だって何か良いところあるはずですよ。探してみようよ!」
とか言ってしまうのだけど、そういうのは正直いうと今葛藤している人からすると偽善者とか全然わかってないと思われて終わりだ。
人はそれぞれ正義がある。争い合うのは仕方ない。ドラゲナイなのだ。


こういう愚痴と問いかけとドラゲナイを少しずつ繰り返しながら、ちょっとずつ状況改善は始まる。
ぼくだってそうなんだから、たぶんフラペチ子さんも、スタバクス子さんも、そうだ。

嫌いとまではいかないけれどよくわからないという人への対応方法はこちら

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