人生かっぽ

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人生かっぽ —佐藤大地ブログ

哲学、言葉、人生観、仕事、恋愛、など人生をかっぽするような物語をつむぎます。宮城県 仙台市を主な活動拠点とする佐藤大地のブログです。2014年からEvernote公式アンバサダー。大学院では政治学を研究していました。

大人になることは弱さに触れられることなんだって思う

エッセイ
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黄色信号が点滅していると、無性に安心している自分を見つける。


初めてそれを見たのは、
たしか大学に入って仙台で飲み会を夜遅くに終えて、歩いていたとき。


話では聞いていたのだけど「あ」とびっくりする。
「ほんとにあるんだ」と。

黄色信号の点滅は「注意して交通して」の合図。
いつもは赤黄青と規則正しく切り替わる信号が
人通りが少なくなった夜に、
規則正しく信号を切り替える必要がなくなるので、そうする。


その点滅を初めて見たとき
ぼくは自分が大人になった気がした。


小さい頃、信号のどこかにカメラがあって、
誰かがそのカメラから道路の状況を見て
手動で信号を切り替えているのだと思っていた。


だから、信号の向こうにカメラを探して、
早く信号切り替えてよって思って
必死にカメラを探して映り込もうとしていた。


そして、きっと誰かが見ているだろうから
信号の前では悪いことできないんだと思っていた。
小学校のときに好きな女の子と歩いていて
何となく信号を避けて通ったのはそのせい。


小さい頃のぼくにとって、信号の向こうにいる「その人」は、
まちを支える一番の働き者だった。


黄色信号の点滅を見たとき
もちろん、「その人」がいるなんてことを
まだ考えているなんてしてなかったけれども
その記憶は頭のどこかにしまってあって
きっとどっかで「ああ、今は切り替えるのを休んでいるんだなあ」と思ったんだと思う。
(もちろん、点滅に切り替えるのが
信号機を休ませるためかどうかはわからないのだけど)



同じ感覚を先日マクドナルドの営業終了時点のスタッフさんの顔を見て思い出す。

いつもどんなお客さんが来てもきびきび手際よく仕事をこなす姿しか見ていないのに
そろそろ仕事が終わる、とふと見せる力を抜いた感じに
本当はお客にそんな顔見せちゃいけないのかもしれないけど
お客であるぼくはホッとした。


小さい頃は、誰かが頑張る強い姿ばかり見せられる。
大人はぼくらに弱音など吐かなかった。
そこにぼくらは尊敬を見出すのだけど
同時にそこに触れられない距離を見つけて
そして孤独みたいなものを持ってしまう。


弱さっていうのは
柔らかくってちょっと触れただけで
傷ついたりアザになったりしかねないから
簡単には触れないものだろうけど
けど、ふとした瞬間にそれを許されて触るときがくる。


そしてそのとき、
誰かのそういうものに
近づけるくらい大人になった自分がいるんだと、胸がほころぶ。



人生を、かっぽしよう
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