人生かっぽ

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人生かっぽ —佐藤大地ブログ

哲学、言葉、人生観、仕事、恋愛、など人生をかっぽするような物語をつむぎます。宮城県 仙台市を主な活動拠点とする佐藤大地のブログです。2014年からEvernote公式アンバサダー。大学院では政治学を研究していました。

恋をした。彼女の話をしてしまう

レビュー 恋愛 エッセイ
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彼女に恋をしてしまった。
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その本は、決して「面白すぎてどんどん読んでしまう本」ではありませんでした。
けど、「いつもそばに置いて、お話ししませんか?という感覚で読む本」でした。


誕生日に親友から本をもらったんです。
『えいやっ!と飛び出すあの一瞬を愛してる』という書籍。
小山田咲子さんの2002年から2005年のブログを書籍にしたものです。


休暇も重なったことなので
久しぶりにこういう類のエッセイ本を読みました。
自分はエッセイ的なものを書くくせに、他の人のは全然読まないぼく。
それでもやっぱり1ページ目というのは緊張に似た喜びを感じながらめくる。


しかし「まえがき」の中で知った、彼女がもうこの世にいないこと。
同時に、これは彼女の遺稿集ではないという言葉。「ほお」と思う。
そして遅かれ早かれ彼女の才能は出ていたはずだ、と。
これまた「ほお」と思って、読み進める。


ブログ記事とは別に、咲子さんの詩「コーラとあの子の思い出」が最初に広がる。
なんだかくすぐったいような、きゅっとしめつけられるような
瑞々しい言葉に一気に引き込まれる。


マクドナルドの野菜に文句を言いながら食べる「昼下がりの衝撃」
ガス会社の人を迎えるために掃除に一生懸命になる「何が何でも」
話している相手の歯に青のりがついていることを延々と悩む「青のり」

そういう咲子さんの姿を見て、
にこにこと、たまにほんとに息を漏らして笑いながらページをめくる。


その一方で
平和のこと、原爆のこと、基地問題のこと、9.11のことになると
クッと真剣な顔になって話す姿が見えて、ぼくも咲子さんと向き合う。


しばらくそうやって彼女が話しかけて来ることに
笑ったり真剣になりながら向き合う。
そして、またね、という気持ちで本を閉じる。
ごはんを食べると、また本をとって、話をする。
いつしか「あのね、あのね」と話しかけるように本を開いているぼくがいる。
恋していたのだろう、と思ったのです。




咲子さんは何かを教えてくれるわけではない。
ずっと葛藤している。そして僕らはその背中を見たり、相談に乗る。


たまにハッとさせられる。
「明け方の訪問者」で
「大丈夫、今がいちばんつらくてあとは楽しくなるばっかりよと伝えた。
 嘘ではない。悩みの真ん中にいる時は誰だって自分が世界でいちばんつらいし今までで一番悲しい」
と言ったり
「SORASO」で
「何かを本気でやりたいと思った時、その人以外の誰も、
 それを制止できる完璧に正当な理由など持ちえない」
と言う瞬間。

けど、すぐまた咲子さんはもとに戻る。



そうやって葛藤する咲子さんに、矛盾するようだけれど、包まれる。


どうしてだろうと思ったのだけれど
それは
咲子さんが居場所を探し、その居場所を自分が守り、愛そうとしているから。
そしてその中にぼくがいるからなんだと思います。


今ここにいること、今ここを愛するということ。
今ここにいるもの全てを愛そうとすること。


中央分離帯に渡って動けなくなった猫を助ける姿。

毎年同じように咲く桜の中で、自分だけが去年とは違うことを感じる姿。

誰よりもその場所から動くのを面倒だと思うのに
誰よりも「えいやっ!」と飛び出すその一瞬を愛している姿。

「温度のない正しさが私には恐ろしい」と想像力の力を信じる姿。


そういう当たり前に少しずつ僕らが忘れがちなことを
照れずに伝えてくれる姿に、ぼくらはじわっと包まれるのだと思います。


けれどふっと気づくのです。
ああ、彼女はいまもういないんだなあ。この世には。と。
そのときに、ちょっとだけ泣きそうになるんです。
惜しい才能をなくしたというよりも、もっと大きなもんをなくした悲しみ。


だからまた、この本を開きたくなるんだと思います。
いつもそばに置いておきたくて、そして咲子さんの話を誰かと話したくなる
そんな本です。



最後のほうで、ぼくは咲子さんと同じ誕生日であることを
「誕生日」の話の中で知ることになります。
これが分かって誕生日プレゼントくれたの!? と親友に聞くと
いや、それはミラクルです、と親友……なんてこった。

とても素敵な誕生日でした。