人生かっぽ

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人生かっぽ —佐藤大地ブログ

哲学、言葉、人生観、仕事、恋愛、など人生をかっぽするような物語をつむぎます。宮城県 仙台市を主な活動拠点とする佐藤大地のブログです。2014年からEvernote公式アンバサダー。大学院では政治学を研究していました。

「あなたのために」と思われる人が持つ「愛される欠陥」

コミュニケーション
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周りに人が集まる人間になりたい。
「あなたのためだったら」そんなふうに思われる人になりたい。

そう思って、
誰よりも知識を持って、誰よりも賢くミスなく完璧になればいいと思っていたあの日。


そう思っていたのにそれとは真逆になった。

あの日のぼくに足りなかったのは
「愛される欠陥」


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最近、知り合いに「面白いこと書いているよ」と紹介されてからと言うもの、
キングコングの西野さんのブログを読んでいる。

面白い。
たしかに。


で、先日、書かれていた記事で心に残った一節がございまして。


効率を求めた先にあるのはロボットで、今の時代、人間に効率を求めるなんてバカげている。
ロボットに代替えされない人間の才能は、『愛される欠陥』だ。
そして、その愛される欠陥は、年を重ねれば重ねるほど増していく。
「仕方ないなぁ。僕が代わりにやりますよ」と他人に言わせることができる、これこそが若手には手に入れることができない老人の才能で、『老人力』である。

キングコング 西野 公式ブログ - 老人力 - Powered by LINE



「愛される欠陥」


これはなんという的確な言葉なんだろうと思う。


ぼくはかつて、そうだなあ、5年前くらいは「ロボット」になろうとしていた。

誰よりも強くなろうとしていた。
誰よりも賢くなろうとしていた。
誰よりも弱いところをなくそうとしていた。


そうすれば、なんでもできるはずだと思っていたし、
他の人に負けないと思っていた。
世の中に認められるものだと思っていた。


ぼくにとってはそれが「リーダー」っていうものだと思っていたし、
「頼られる人」だと思っていたのですよ。


だから、
「あれ、大地さんこれおかしいですよ?」「間違ってますよ」
と突っ込まれてはいけないし
「いあや、さすが大地さん」「大地さんには敵いません」
なんて言われてえなあと。


そのためにいろんな本を読んで賢くなってやろうと。
でも、


実際はちがいまして。


最終的にまわりの人たちが集まって、頑張ろう!と力を貸していたのは、
ぼくじゃなかったわけです。

ぼくじゃない、
ぜんぜん賢くない、あの人。

物知りでもなんでもないし、
むしろ分かんないことばっかりで
周りの人に聞いてばっかりだし
周りの人にやってもらってばっかりだし
尖ったところだってないし。


なんであいつが。


いつか愛想をみんなつかしてぼくのところへ来るだろうと。

だがしかし、
待てども待てども来ない。
むしろ
日が経つにつれて
どんどんどんどんみんなあいつの周りによって行く。


そんな日々の中でお世話になっている年上に言われたのが


「大地くんには愛嬌がないよ。
 弱みが見えない。だからみんな関わり方が見えない」


ということ。

衝撃でした。

まさか自分が隠そうとしていた、まさにその
「弱さ」
「欠けているところ」
が人を惹きつけるなんて。


ぼくの弱いところはですね、
大事なところがどこか抜けています。
チェックする癖がないんですね。
だから、「なんでそんなミスするの?」ってところができない。

そういうところを、だからさらけ出しちまおうと。

ミスったら
「すんません!」
と。


そしたらたしかにね。
違うんですよね、
なんつーか、後輩からの相談件数が一気に増えたんですよ。


気づいたときは、
みんな力を貸してくれてる。

これがまさに
「愛される欠陥」


ただ、これ注意しないといけないことが2つありまして。


1つ目は、できなくてもまずは一生懸命やる。
2つ目は、「助けてもらってありがとう」精神を忘れない


まず1つ目について。

「ぼくこれ弱いからさ〜(鼻穴ホジホジ)」
みたいに最初からふるまってるやつ助けますか?って話。

助けません。
むしろ後ろから蹴り飛ばします。


だから下手くそでも不器用でもやる。まずは。
そして「なにくそ」と懲りずに一生懸命やる。


で、その下手くそで不器用な姿とか見てると
「もう!見てらんない!」
って言って世話焼き女子が手を差し伸べてくれるわけです。

あえて不器用でもやるのです。
「自分不器用ですから」と。
高倉健です。欠陥に突っ込まれても「助けてくれてありがとう」って言えること。




で、2つ目。

弱みをさらけ出したからって、世の中は何も言わないわけじゃなくて
「大地さんここマジでできないですよね、アホですか」
みたいな半分冗談めかしたバカにするような発言を喰らうわけです。

で、そこに
「あん?」とかプチッと切れたりしたら
もう助けてくれないわけです。

弱さを認めるってのは、そういうところも踏まえないといけない。


「助けていただいている」わけです。

「人」という字はまさに支え合うことで成り立ってるわけです。
金八先生なわけです。


だから
「すいませんねえ、いつもいつも助けていただいて」
って言わないといけない。
演技でも、言わないといけない。




「愛される欠陥」というのは、
こうやってまずは「一生懸命やって」
そのあとに「助けてくれてありがとう」
ということによって支えられてるんだってぼくは思ったのです。


もしも人間がパズルのピースであるなら、
何も欠けていないピースに他のピースが組み合わさりようがない。

欠けているから、関われるし、関われるから、力になる。


人生をかっぽしよう