他人に借りた本が好きだ。
買うよりも好きだ。
このお盆も、大量に本を買ったり、借りたりしながら、
どこともなく移動しては本を読み、移動しては本を読み、という生活をしていた。
一年のなかでいちばん本をゆったり読める時期かもしれない。
この時期に読んだ本は、その先の人生でも心の豊かさになることが多い。
それでも、どうしたって読みきれないくらい本を抱え込むものだから
お盆の残りの本が、毎年毎年、読まれずに残されていくあたりは申しわけなさを感じてる。
じぶんの欲張りを実感して、ちょっとの後悔を感じるときでもある。
買った本よりも、借りた本が好きで。
読んでいると、買ったひとがとなりのソファで腰かけておんなじ本を読んでいるような、そんな気持ちになる。
「この文章、あのひとはどういうふうに読んだんだろう、
きっとこんなふうに読んだんじゃないかなあ」
「あ、この部分とかあのひと好きそうだなあ。ぽいなあ」
「えーあのひとよくこの本楽しく読めたなあ。意外」
そうやって、一度じぶんの目線をはなれて、
そのひとを想像してみて、
なんならそのひとの気持ちになって考える。
買ってきた本を読んで、ひとりの読書を楽しむのも悪くはないのだけど
いかんせん読みおわると、またひとりになってしまって、
「あーあ終わっちゃった」なんて、また次の本を探す。
あと、次に本を返すときも楽しくて。
そのひとと会うのがとても楽しみになる。
そしてそのひとに対してもうちょっと違う見え方ができて、
まるでそのひとと何か濃ゆい時間をすごしたような感覚になるから。
ひとの紹介してくれる本、と言っても
著名人の紹介する本だとそれほど楽しくないのは、
そういった「本を返す」ということがないからで。
借りて返せば、また関係が続いて、
そしてその関係は貸し借りがないときよりもはるかに濃く、複雑な関係になっていく。
経済学者の岩井克人さんがこんなこと書いている。
「日本でもお中元やお歳暮に僅かに残っている交換本来の十全たる姿。そこでは、交換が手段であるだけでなく、目的としても存在している」
「そういう意味で古代の交換というのは、人間社会をほとんど全部覆い尽くすような、人間社会の中で最もドラマチックな、人間が自分の存在を確かめるようなものが交換する行為だったのです」
選ばれるのではなく、任されること:無限の選択地獄での勝ち方 | 語られない競争戦略|DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー
より
「人間は交換する物に対してだけではなく、交換すること自体にも価値を感じている」
ほんとうにその通りだと思って
だれかと交換するってことは、想像力がはたらくわけで
それって本当に人間らしいとぼくは思っていて
全部じぶんのものとする時代には、これがなくて人間らしさを奪っていると思う。
ぼくは友人にならって、好きな本をぴったりなひとに買って譲っているのだけど
これもやっぱり貸し借りするのと似た意味でやっている。
それでもぼくは貸し借りってのは貸し借りってので、やっぱりいいなあと思っている。
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