人生かっぽ

読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

人生かっぽ —佐藤大地ブログ

哲学、言葉、人生観、仕事、恋愛、など人生をかっぽするような物語をつむぎます。宮城県 仙台市を主な活動拠点とする佐藤大地のブログです。2014年からEvernote公式アンバサダー。大学院では政治学を研究していました。

一度やらなくなったことをもう一度やろう

エッセイ
follow us in feedly

始めるのは、難しい。
続けるのは、もっと難しい。
やめることも、難しい。

けど、
やらなくなることは、とてつもなく簡単で。

ブログを書かなくなってから、あっという間に半年近くが過ぎようとしている。

f:id:daichi6388:20161017212313j:plain

「やらなくなる」
は簡単だ。

「やりたくねえな」「面倒くせえな」「意味ないだろ」「もっとやるべきことがあるだろ」
そんな言葉にどこか身を任せて、
意思もなく
ただ川の流れが向こうからやってきて、こちらを通り過ぎて、そしてまたあちら側へ行くのをただ見送るように日々を過ごせばいい。
いや、見送ることなんかしなくても、

ただ、過ぎていく。

そんな事実があれば十分で。


「こうする」
「こうなる」


という言葉は、ずいぶん似た言葉だけれど
そこに「意思があるのか、ないのか」ということを考えてみると、
ずいぶんと違うものなのだということが分かる。

いつの間にかやめてしまったこと。なくなってしまったこと。

それでも、なくなってしまったことに日々少しずつ味気なさを覚えていく。

何が足りないんだろう。
このスカスカした感じ。

仕事場での休憩中、
仕事が終わってから、
ぼけーっと景色を見ながら
まだ今日という日に何かをやっていない感じにずいぶん違和感を持っていた。

「本番じゃない感」
みたいな。


何かに本気で取り組もうと思ったときは、
今まで持っていたものをその場に置いておくことも必要だよ。


なんて、後輩連中に鼻高々に話してきたぼくがいた。

ええ、そんな、できませんよ、そんなこと。

あわあわ決断に迷う後輩に、
「大丈夫、置いておくだけだよ。
 捨てるわけじゃないんだから、
 人生のどこかでまた、余裕ができたら取りに帰ってくればいいんだよ」

そう言うと、ずいぶん気持ちがラクになったみたいだった。でも、

じぶんがいざもう一度ここにその大事な荷物を取りに帰ってくると、どうか。

いったん道端に置いた荷物をもう一度持ち上げてみようとすると、
まあ、重たいこと重たいこと。

持ち続けながら一度力を抜くことと
一度おいてからもう一度持ち上げることは
まるっきり必要な力が違くて。

いわば
「よっこいしょ」
「どっこらしょ」
の力が必要で。



「どっこいしょ」
とか言うようになったら年を取った証拠ね。

とかよく言うけど、あれ間違いだと思う。

それを言ってもう一度始めないといけないほど
ぼくらの周りには他にやらないといけないことややりたいことが増えたってことなんだと思う。

「これやらないといけない」
「うわああ、やりたくねえなあ」
「でもやらないとなあ」
「よっしゃいっちょやってやるか!」
「気持ち切り替えよう!」

「よっこらしょおおおお!」

みたいなことなんである。

一度置いたことを、
もう一度持ち上げる。始める。

このスタートラインが「よっこらしょ」「どっこいしょ」なんである。


そう考えると、
小学校1年生の教科書で『大きなかぶ』をやって、
みんなで「どっこいしょ」をご唱和したのは、ずいぶん文科省もお考えあそばされているのである。

なんにせよ、
ぼくはぼくで、企業人になる前にぼくに約束したわけで。

「必ずブログは書く」
「道端に一度ブログを置くけれども必ずもう一度拾いに来る」

こういう未来に、もう一度やってきた。

そう考えると、人生の中でまだまだ拾う必要のあるもの、拾えるものってあるんだろうなあ。

とりあえず、進んでみよう。


どっこいしょ。