人生かっぽ

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人生かっぽ —佐藤大地ブログ

哲学、言葉、人生観、仕事、恋愛、など人生をかっぽするような物語をつむぎます。宮城県 仙台市を主な活動拠点とする佐藤大地のブログです。2014年からEvernote公式アンバサダー。大学院では政治学を研究していました。

あなたはどう?付き合いが長い人ほどイヤがられがちな僕が気づいたのは「レベル1」を認めてあげるべきだってこと

コミュニケーション
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カフェで小学生くらいの子どもが水を汲んでくる。

水はセルフ式で、じぶんの分とパスタを頼んだお母さんのためにと、小さい手で水が入ったコップを持ってきて。

ぼくも半ばほほえましく、けど「落とさないかな」とちょっとヒヤヒヤしながら、その姿を見ていた。


なんとかしてテーブルまで持ってきて、たどり着くと、
片方のコップをついにひっくり返してしまって、テーブルいっぱいに水が広がった。


「何やってんのよ〜」
とプチ切れ気味にお母さんが声を出して、そこにあった紙ナプキンでふき始めた。

「ほら、早くふきなさい」
なんとも言えない顔をしている子どもは、じぶんのところにあった紙ナプキンを持ってきて、一緒になってふき始める。


ああ、とぼくは思ったのです。
子どもがいる、いないに関わらず、ぼくらはこの言い方をいろんな人にしてしまっている。


どんなに長い人間関係でも、いや付き合いが長い大切な関係だからこそ、見落としがちな「レベル1」を認めないと。



「頭がいいのね」よりも「がんばったね」と言われる子どもが成績がよくなる?

Spring Garden Snack Radishes
Spring Garden Snack Radishes / OakleyOriginals



子どもの力を伸ばすときは、
結果ではなくて、努力をほめるほうが良いということは、
ある程度有名な話かと思います。


そのことを示す、こんな実験があります。


コロンビア大学のミューラー教授らが、ある公立小学校の生徒を対象にして「ほめ方」にかんする実験を行ったとき。

子どもを2つのグループに分け、成績が良かったときに、別々のメッセージを伝える。

片方のグループには「頭がいいのね」と、「もともとの力」をほめるメッセージを伝え
もう片方のグループには「よく頑張ったわね」と、「努力」をほめるメッセージを伝える。

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その後、2回目のIQテストをさせたとき、結果はどうなったか?

「よく頑張ったわね」と言われたグループの結果が良かったのです。


しかも注目すべきは、ほめ方の違いが、その後の子どもの取り組み方にも影響を与えたということ。

「頭がいいのね」とほめられたグループの子どもは、成績が悪いときに成績に嘘をつきがちだった一方で
「よく頑張ったわね」とほめられたグループの子どもは、その後のテストでも粘り強く問題に挑戦して、悪い成績をとっても「努力が足りなかったせいだ」と考えたのです。

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『「学力」の経済学』より




そう、子どもが何かをしたときに、
結果や才能などの「出来=レベルの高さ」ばかりを見てほめていると
結果が良いときは良いのかもしれないけれど
悪いときにもっともっとやってみようという気持ちを失うわけです。


そして、
これは子どもだろうと大人だろうと同じで。
人間関係を壊しがちだったとき、ぼくは「出来=レベルの高さ」ばかり大切な人たちに求めていて。




レベル1を認られないとキライになる

garden 027
garden 027 / juicylucymamma


努力という行動ではなく、結果をほめるとやる気がなくなる。
それはぼくにもイヤな経験として残っていて。


小学校のスポーツ少年団でサッカーをやっていたときの話。

どうしても好きになれない指導のコーチがいて、その人が練習のときは何をしてもイヤな時間。

下手だからキライなわけじゃなくて。
市の選抜にまでなっていたけど、サッカーやりたくねえなと思っていたし、
県選抜に近いレベルの合宿にダダこねて行かないときもあった。

じぶんが上手い下手とかどうでも良くて、とにかく嫌いだった。



「おーい、パスミス気をつけろー」
「そーこー決めないとー」
「なんでそこでシュートしちゃうんだー?」


そういう結果に対しての評価をじぶんにかけられたり、チームのだれかがかけられるたびに憂鬱になって、
こわくなって、練習場所を逃げ出したくなっていて。


っていうふうに実体験からわかっていたことだったのに、
それを他でもないじぶんが、他人にやっていると気づいたのは、大学も卒業しそうなときだったのです。


レベル1をほめる。
わかっちゃいるのに、どうしてできないのか。





関係が長いからこそレベルを高く求めてしまう


Radishes
Radishes / oldpatricka


じぶんがそのイヤな体験と全く同じことを、他人にする側にまわっていると気づいたのは、大学も終わりそうなとき。


そのときぼくは、一緒にプロジェクトを動かしてきた人に、イライラしていて。

そのイライラを頭のなかでこねくり回しながら、たしか洗濯物でもたたんでいて。


けど、そうしてボケッとイライラしていて気付いたのは
「いろんな人と人間関係を作っていく上で、
いつも同じような時期にイライラしているなあ」
ってこと。


具体的にいつとは言えないのだけど
知り合ってから、半年そこらのタイミング。
友人でも、仕事仲間でも、恋人でも。


思えば、最初のころって
相手がどんなことしてくれる人かわからないから、何をしてもらっても嬉しくて、
「ありがとう」「すごいね」「やったね」が言えたのに、
そのうちそれは、それくらいできるのは当たり前になってきて、
もっと高いレベルを求め始めて、できないことにイライラし始める。


それで、言ってしまう。
「もっとこうしてよ」
みたいなことを。
レベル1をほめられなくなる瞬間。


そう、そこそこ長く付き合ってきた人間関係だから
相手のしてくれること自体ではなくて、してくれた結果ばかりを見るようになってしまう。

わかっちゃいるけど、見えなくなってしまっていたのでした。

だから、この夫婦みたいに言えるのって本当にすごいなと。



あのとき、
水を取ってきた子どものお母さんも同じだったのかな、と。

何かしてあげようという子どもの行動が素晴らしいことなんて、たぶんわかっていて。


たしかに
そこでほめてあげれば、たとえ失敗したとしても、何度も何度も挑戦すると思し、
最後の最後に水をこぼしたことばかりをなじられたら、
やさしさを行動にうつすことをためらう子どもになってしまう。


けど、長い付き合いだからこそ、レベル1を忘れてしまう。
「もっとこうしてほしい」ってレベル10とか30を求めてしまう。


そうしたときに、長い関係だからこそ見えなくなってしまったものを見直したいと思うんです。

レベル1の出来だとしても、そもそもやったこと自体に
「ナイスチャレンジ、ありがとう、すごいね」って言ってやりたい。







 ***



「生まれてきてくれてありがとう」ってことを、
子どもがいろんなことができてくるほどに、忘れていく。
大人の関係で言えば「いてくれてありがとう」ってこと。

それこそ「レベル1」のことかもしれないけど、
レベル1がなければ、始まらないじゃないか、と。

「もっとこうしてよ」の裏側には、いつも「してくれている」彼や彼女の姿が隠れていることを忘れたくはない。


レベル1でいいじゃないか。
長い付き合いだからこそ、レベル1を忘れない。


人生を、かっぽしよう
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努力をほめることについては 、もっと深く書いてある
『「学力」の経済学』をどうぞ。
「学力」の経済学

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