人生かっぽ

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人生かっぽ —佐藤大地ブログ

哲学、言葉、人生観、仕事、恋愛、など人生をかっぽするような物語をつむぎます。宮城県 仙台市を主な活動拠点とする佐藤大地のブログです。2014年からEvernote公式アンバサダー。大学院では政治学を研究していました。

「家族の問題は家族で話し合えば解決できるよ。家族なんだから」って違和感

家族 コミュニケーション
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「大丈夫ですよ、きちんと家族と話しましょうよ、きっと解決しますよ。
だって家族なんですから。向き合えば、分かり合えますよ」
駅の待合室で男性の声がする。

「ありがとう、そうよね、家族なんだもんね。そうよね」
おばさんがその言葉にえらく感動したように反応する。

本当にそうだろうか、
そうならばいいけれど、
という気持ちでぼくは聞いている。


Coffe Jelly
Coffe Jelly / PoYang_博仰

そのおばさんは、具体的なことはわからないものの、
なんだかんだで家族内、親族内のトラブルを男性に相談しているようで。

家族にこんなふうに言われるのよ、我慢できないの、きっとあんまり好きじゃないんだ、
なんてことを言って
男性がそれをときどき力強く、ときどき優しい声です、励ましていて。

「家族なんですから」
ということばが何度も耳に入ってくる。

ときどき、彼の知り合いが家族関係のトラブルを乗り切った「感動する」話を織りまぜながら。


いい話で済ませたいのだけど、
ぼくは違和感を持ってしまい、目尻がピクピクする感覚になって。


「家族だから」
話し合えば分かり合える、解決する、
ということに、ぼくは疑いを持っている。



家族だから盲目になる

神田伯剌西爾のコーヒーゼリー
神田伯剌西爾のコーヒーゼリー / akira yamada


付き合う時間が長ければ長いほど、
関係作りの時間が長ければ長いほど、
ぼくらは「盲目」になる。
とぼくは思うんです。


お互いの役割とか、
立場の強弱とか、
やって良いこと悪いこと、


親は子供が大きくなっても親だし、
子どもは大きくなっても子ども。


立場がしっかりしてくればしてくるほど、
家族の中での意見も、考え方も、
良く言えばしっかりしてくるし、
悪く言えば視野が狭くなってきて。

「子どもなんだから」
「親なんだから」
「お兄ちゃんなんだから」
「お姉ちゃんなんだから」

そういう責任感にも似た意識が、よけいに考えを狭めていく。
目をこらせば見えるはずのことが、見えなくなってく。

「これはきっとやさしさなんだ」
「これはきっと怒ってるんだ」
「きっと憎しみなんだ」
「きっと私を思ってのこと」


たとえ子どもが言っていることがまっとうでも
たとえ親が言っていることがまっとうでも
聞き入れ辛くもなってくる。



反抗期

MIzu-yokan
MIzu-yokan / Jun Seita


反抗期ってのは、そういう関係を何とかしようという最大の抵抗だったりして。


長い時間をかけて複雑に出来上がってきてしまったカチコチの関係性を、
わけもわからずにバキバキと力づくで破壊してく。

話し合いとかしても、関係性が邪魔をするから、
そうやって乱暴にでも一度ぶっこわすしかないのだと思う。



ぼくはあまり反抗期という反抗期がなく。



親たちからするとそれは嬉しいことなのかもしれないけど、
それは怖気づいていただけで。


他人だったら簡単に言えることでも
親だからこそ「親は正しい」という気持ちになってしまい、
最後は親の言うようにしていただけだったのだろうと思う。

べつに、親は高圧というほど高圧ではなかったけれども。



ぼくにとって、家族という関係性は、
じぶんが縮んでしまう場所でもあったのです。


けれど、そのことを周りの友人に話すと、
意外と「私もそうだ」という話が多いこと多いこと。


そうやって、家族だからこそ、じぶんの本当に伝えたいことが伝えられなくなるということが起きてしまう。

そしてそれは、
「家族なんだし、お互いわかり合ってきたんだから、
 目をこらせばきちんと家族の考えてることが見えてくるはず。
 そうしたら、家族で解決出来るはず」
そう考えてしまうけれども、
盲目で何かを見ても、結局は暗闇で迷うことになっちゃう。


家族との関係性を見直すには、他人を通して「勇気」を手に入れること

羊羹
羊羹 / switchstyle


反抗期も特になく、伝えたいことを家族の前で包み隠してしまったぼくの場合、
解決の糸口になったのは、大学での友人たちとの交流で。

そこで、勇気を得たのです。


家族の話と言っても
べつに、悩みという悩みではなく。

親はこういう人で、
じぶんはこういうことを教わってきて
けど、こういうことはなんだかなあと思っていて。
そういう他愛ない話。


けれども、他人がそれに応答してじぶんの家族の話をすると、
「ああ、そういう距離の取り方もあるなあ」
「なるほど、うちは恵まれているんだな」
「ぼくももっといたわらないとなあ」
そうやって家族との向き合い方が見えてきて。

やっと、じぶんの考えとして家族と向き合えた気がしました。



「わたしんちはこうだよ」
ぼくんちはこうだよ」
相手とじぶんがお互いのことを話す対話によって、
家族の中にいるじぶんの姿が浮き彫りになってくる。


そうすると、じぶんが意識してなかった家族の姿が見えてくる。
なんとなく違和感を感じていた部分がはっきり見えてくることも
当たり前だと思っていたことが当たり前じゃないことも。
じぶんだけだと思っていたことが自分だけじゃなかったことも。

そういうことを、他人の目を借りて見てみる。


そうすると
もっと伝えたいこと伝えてもいいかも。
もっと優しくしてあげるべきかも
もっと自分勝手でいいかも。
家族との向き合う勇気が出てくる。




 ***




「家族だから」他人を通すことで見えてくるんだと思う。

それは家族から逃げることじゃなくて
むしろ、家族と向き合うことなんだと思うんです。



人生を、かっぽしよう
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