人生かっぽ

読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

人生かっぽ —佐藤大地ブログ

哲学、言葉、人生観、仕事、恋愛、など人生をかっぽするような物語をつむぎます。宮城県 仙台市を主な活動拠点とする佐藤大地のブログです。2014年からEvernote公式アンバサダー。大学院では政治学を研究していました。

相手と分かりあうなんてできない

コミュニケーション エッセイ
follow us in feedly

自分のことは、自分が一番分かっている。
と多くの人が思っている。ぼくも思っています。


そして同じようにして、
他人のこともぼくは分かってやれると思っています。
そして、そういう姿勢を見せれば
相手も分かってくれると思っています。


ちょうどそれに関して、仙台メディアテークにこんな展示がありまして。
Evernote%20Snapshot%2020140705%20132725
Evernote%20Snapshot%2020140705%20132804



対話をすることで、最初ぼくは
違うもの同士が分かりあえると思っていました。
きっと争いが消えるんだと、そう思っていました。

けど、違いました。

対話を通すことで、
つまり
他人とひとつのものごとに対して意見を言いあうことで、
結局は自分と他人の違いしか分からない。
結局は自分のことしか分からない。


けど、それで十分じゃないかって思うのです。


最初は自分のかたちは正方形だと思っていた自分が
そちらも正方形である他人を目の前にして、
いや、なんか違うんだよなと何となく思う。


または、
いや、きみは正方形なのか?と他人から言われて、
あ、そうか、自分は正方形じゃなくて、何となく角が丸っぽいんだ
とか思う。


そしたら、自分は円なのだろうか?
そう思って円の人と話していると、
「いや、きみはなんか直線っぽいとこがあるなあ」とか言われ
円じゃないんだなあということだけは知れる。


けど、まだまだ自分はどんなかたちなのか、
はっきり分からないんです。


自分は日本人だと思っていたら、そうではないようなところ。
自分は男だと思っていたら、そうではないようなところ。
自分は機転が利くと思っていたら、そうではないようなところ。
そういうことに、他人を通すことで、気づいていく。
それが、対話。


「私はこういう人間です」
生まれ、そして自然に生きていて
そんな風に自分を肯定文で表現できて間違いなら、誰も苦労しません。
自分の思い通りに自分が動いてくれなくて苦しんだり悩んだりしません。


けど、実際は思い描く自分と実際の自分は違うから苦しんでいる。
「こんなはずじゃない」


「私はこうではありません」
結局分かるのはこれくらい。
これくらいだけれども、これで十分でもある。


思い描いていた自分がどうやらちょっと違うらしいということに気づく。
それはさっきまで思い描いていた自分を失うようなことです。


そうやって人生の中で対話を何度も通して、
「こうではない」を理解して
そして、少しずつ少しずつ
「こうであるかもしれない」に気づいていくのではないかなあと思うのです。


そんなことを通して「こうであるかもしれない自分」が見えてくると
他人に対しても少し、かもしれない、と許すことができるのです。
あの人は、自分かもしれない、と。


自分こそ見えない。そして、他人も自分を通して見るものだとしたら、
そこもまた、見えないものなのかもしれませんね。
けど、不思議なことに
そう受け入れることが、一番他人を受け入れていくことなのでしょうね。