人生かっぽ

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人生かっぽ —佐藤大地ブログ

哲学、言葉、人生観、仕事、恋愛、など人生をかっぽするような物語をつむぎます。宮城県 仙台市を主な活動拠点とする佐藤大地のブログです。2014年からEvernote公式アンバサダー。大学院では政治学を研究していました。

「お前が殺したんだろ」

コミュニケーション ストレス エッセイ
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「お前が殺したんだろ」

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そうなりかねないな。そんな気はしていた。
「彼」が自殺した理由は分かりません。
あの彼は、他の誰でもなり得る。
それくらい、誰でも良いようなそんな死。
ショッキングさだけが、世間の関心事になる。
理研 笹井副センター長が自殺図ったか NHKニュース


自分が殺したのかもしれない、そんな気がして。


どうしてだろう。
そう考えてみて、最近こういう「祭り上げる」かのような動きが頻発しているからだ、と。


何か世間で問題が起きたときに、SNSで騒ぎになる。
この流れに乗れと言わんばかりにブログがネタにする。
面白おかしくした画像がタイムラインを流れる。
面白くって拡散する。
面白くって食卓のタネにする。
その空気が社会に膨張する。
そしてぼくもそれを楽しむ。

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彼が自殺した本当の理由は分かりません。
遺書に書いてあるのか、どうか。


けど、まるで
自分の学校の友達が自殺したかのような感覚になる。
ぼくが悪いのかもしれない、いや、関係ない、そうだろ? と。



本当の責任追及が必要だとか、
そんな話だけなのだろうかと思う。


「◯◯が悪い」「◯◯が悪い」「◯◯が悪い」
「◯◯が違う」「◯◯が違う」「◯◯が違う」
そんなことを言う本当の目的は何だろう。
本当はみんな「悪い」と言った後に
「良くしよう」と言いたかったんじゃないのか。


「もっとこんな風に良くしようよ、きっとできるはずだからさ」
そう言ってあげれば救えたのかもしれないな、そう思って後悔した。


けど、言っているうちに忘れてしまう。
自分が正しいことを言っていることが目的になってしまう。
それを多くの人に知ってもらうことが目的になってしまう。


そうやって
また誰かを責任という名の正義で追いつめて、
自殺と言う名の死刑にしてしまう動きになっていくかもしれない。
そんな世の中に怖さすらおぼえている。
そしてその世の中の担い手である自分に、怖さすら憶えている。


ただ、どうだろう。
こういうぼくが彼を殺したのか、違うことが理由だったのかは
彼が死んでしまった今、もう本当のことは分からない。



「自殺したら正義なんです」
そんなことを言ったら多くの人に反対されると思う。


「死んだって何もならない、生きよう」
「死んだら負けだ」
「くだらない奴らのためなんかに、死ぬな」
自殺が話題になるたびに、そんな言葉が飛び交う。


見てみろよ、と思う。
彼の本意はどこにあるか分からないけど、
自殺して、ある意味、彼は、勝った。


自殺した瞬間に「彼は素晴らしい人だった」
そういう言葉がマスメディア上にちりばめられる。
「哀悼の意を込めて」
「ショックです」
「まさか」
手のひらが返されたように言葉が変わる。
だったら最初から黙っているか、そう言い続けていれば良かった。


世の中がこうなのだ。
自殺を選んでは行けない理由なんて本当にあるか、なんて思う。


マスの果たすべき役割どうこうではない。
もしかしたらマスのせいで死んだのかもしれず、
もし本当にそうなら、その事実は消えないということだ。
そしてそこに、自分もいた。その事実は変わらないってことだ。



これも、民主主義だろうか?
ルールにのっとれば何を言っても正義。正義に則れば人は殺せる。これも、民主主義だろうか?
ぼくらはこの中で生きている。


ただ、それが、なんだか昨日は悲しくなった。