人生かっぽ

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人生かっぽ —佐藤大地ブログ

哲学、言葉、人生観、仕事、恋愛、など人生をかっぽするような物語をつむぎます。宮城県 仙台市を主な活動拠点とする佐藤大地のブログです。2014年からEvernote公式アンバサダー。大学院では政治学を研究していました。

できもしないのに学者が経営に口出すな? ホリエモンvs楠木教授のやりとりから

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「やったこともない人間が偉そうに語るな」
「経営に携わったことのない素人は経営を語るな」
「学者は頭でっかちで口だけなんだから批判をするな」
みたいな批判はあります。僕自身が研究者なので、そういうことには敏感に反応することもあります。

今回は、それらの意見に学者・研究者の名誉を守るためにきちんと反論しておこうと思います。
背景としてあるのが、先日の、堀江貴文氏(いわゆるホリエモン)と佐山展生・楠木建 両氏(どちらも一橋大学教授)による「コンビニ居酒屋」をめぐる「言い合い」を読んでいたからです。

【追記7/27】
今回ぼくが記事を書いたのは「学者・研究者の名誉を守るため」であって、佐山展生・楠木建 両氏の名誉を直接守ろうということではありません。
記事を読んでいただければお分かりになるかと思いますが、あくまで「学者とはこうあるべきもの」という理解を訴えているものです。そしてそれに対して世の中の一部が勘違いをされていることをおそれてのことです。
また、堀江氏だけではなく、佐山・楠木氏の対応にも批判を加えているもので、決してどちらかの立場を擁護する意思はありません。
もしも筆者の意図と違う解釈が起きてしまう箇所があれば、それは筆者の表現方法の未熟さであり、批判されて当然のことです。


ことの発端


まずは3氏によるやりとりと、それを取り巻く周りのコメントを見てみます。


このような一連の記事の流れが話題になっています。
【速報】堀江貴文と佐山展生、楠木建(一橋大学教授)の間で戦争勃発!ホリエモン提唱のコンビニ居酒屋は成り立つのか | netgeek

ことの発端は堀江氏のこちらの記事
コンビニ居酒屋という新しいビジネスモデル | ホリエモンドットコム


こちらで堀江氏が要約すると

「金の蔵とかの一品280円とかて食べられる居酒屋が人気だけど、はっきり行ってマズい」
「はっきり言ってセブンイレブンのほうが金の蔵で出てくる物より断然美味い!」
「雑誌とかDVDなどの娯楽ソフトも沢山廉価販売しているので、コンビニの隣に小さな居酒屋スペース作ってセルフサービスするのどうだろう?」

という


それに対してニュースキュレーションアプリ「Newspicks」で佐山展生・楠木建両教授が反論。

NewsPicks


これに対して堀江氏
コンビニ居酒屋という新しいビジネスモデルってエントリがNewsPicksで盛り上がってて面白い。 | ホリエモンドットコム


両氏の反論は、それぞれ違う切り口ですが
今回は特に堀江氏に攻撃されていた楠木教授の反論を通したやりとりに注目されるべき点があったので取り上げます。

「これはビジネスモデルではない」とか、楠木建って一橋大学の教授の人がdisってたりとか(苦笑)。じゃああんたのいうビジネスモデルは何なんだって言う(笑)。商売の経験もない頭でっかちの教授はこういう事平気で言うんだね。

他にもコンビニのイメージが悪くなるとか酔客対策が大変だとか、そんな所で働きたくないとか色々意見があった。みんな甘いし、ハナっから否定している人も多かった。やってみないと分かんないじゃない?

結局私の思いつきアイディアを実際に商売でやるような人が成功するんだよねぇ。。。そういう人って天才か馬鹿なんだよねぇ。。。今回のNewsPicksでネガティブコメント書いてる人はいわゆる「小利口」な人が多い気がした。

そして、このやり取りを見ていた周りの人たちのコメントも
【速報】堀江貴文と佐山展生、楠木建(一橋大学教授)の間で戦争勃発!ホリエモン提唱のコンビニ居酒屋は成り立つのか | netgeek

こちらの記事から

「批評だけしてる教授やサラリーパーソンのコメントって面白くないわー。無難すぎて」

と言うような、コメントも実際にありますし

「とにかくまずやってみるという気持ちが大事」

というコメントもあります。


学者と実践者の違いとは?

さて、こういうやり取りを見た上で伝えたいことがあります。
経営者と経営学者は目的が違います

学者の仕事と言うのは、基本的に
「できるかぎり主観(=思い込み=偏見=勘)を取り除きみんなが理解して納得できる答えを出し、言葉を使って伝えて行くこと」です。
そこには経営を実行するということは必要ないのです。


しかし、そうやって伝えるために、膨大な事実を見て、膨大な角度から、膨大な量を考える。
その膨大さと意見の的確さがプロ研究者かどうかだと僕は思います。


それに対して経営者の仕事と言うのは、ケインズの言うように不確実な状況に対して決断するような「アニマル・スピリッツ」を持って行くことだと思うのです。
(ただし、ケインズはこの言葉を投資家に対して使っていましたが)


つまり、実践者の仕事は頭で考えたことをエネルギーを使い身体を使って行動に移せるか


もちろん、今回の例で言えば、経営という実践を行ったほうが気づくこともあります。
しかし、実践をしたがゆえに持ってしまう固定観念もあります。
論理的ではない、つまり勘としてこっちのほうがうまくいくからという経験則という固定観念で答えをごり押しするのです。


この問題はぼくも研究者とよく一緒に考えます。
例えば、公害訴訟を取り上げて研究する際に、あるべき対策として公害被害者支援策を提案したとして、公害被害者の活動を支援していたりすると別の件で解決策を出す必要があるときも、肩入れするようになってしまう。


結論を言いますと、やはり実践は実践者に任せる。勇気を持って決断をする人に任せる。

「やってみないと分からない論」には学者は苦言を呈す

ただし、上でかなり多く出てきた「やってみないと分からない」あるいは「人が反対することこそやる価値がある」というような、実践者に多く(特に起業という分野で)共有されがちな理由付けがあまりにもざっくり過ぎた勇敢さ。
そういう勇敢さが、ときに危険であるので、研究者はそれに苦言を呈する必要があるのです。

たとえば
3歳男児が「20歳男性と一緒の条件・ペースでも富士山を登れる」と言っていたら、「ちょっと待て」と言いませんか?

研究者の助言というのはそういうことなのです。
「きみの身体条件や山の条件を考えると、そのまま挑むのは無謀です。こういう道具を持って行くべきです」と伝えるのが仕事。

もちろん、自分の知識を刃物のように使って相手を否定することを生き甲斐にしている研究者もいます。
何かを前進させるために、苦言を呈すると言うよりも、相手を後退させるために苦言を呈する人。
こういう人は研究者として不適格だと思います。

ただ、本気の研究者はだれかを引きずり落とすために仕事をしているのではなく、できるだけ客観的な観点から、できるだけ成功確率の高い、妥当なものを提案しようと懸命に仕事をしています。
どうか世の中の研究者以外の方々にもそれを分かっていただきたいのです。


いわば軍師のような仕事、それが研究者なのです。
(かの有名な軍師 諸葛孔明も、自分が闘わないのに指示を出す姿を非難されたと言います)


で、今回のあるべき議論


今回の話に戻りますと
そういう研究者=経営学者と実践者=経営者としてお互いに意見が雑すぎた感じがあります。

堀江氏はどうすべきか

ビジネスモデルとして成り立つとして結論を述べるなら、その根拠としてきちんと数的な根拠を述べるべきでした。

施設の増設代や光熱費、食材仕入れ費、喫煙スペースやビールサーバーなど
その費用支出などと、それに対しての収入を概算でも良いので、示すべきです。

あるいは、実践者として意地を通したいなら「時間がない」なんて言い訳をせずにやって証明すべきです。資金を意地でも調達し、その資金で経営をすれば良いのです。
そこを実践しないのは、実践者としての逃げです。

楠木氏はどうすべきか


どうしてビジネスモデルとして成り立たないのかをきちんと示すべきでした。反論するなら、上記のように支出と収入の観点あるいはそれ以外からその根拠を示すべきです。
(ただこの点については、Newspicksという簡易コメントの風潮からサボってしまった旨の発言があります)

また、ビジネスモデルとビジネスアイディアという言葉の違いをきちんと明確にし、それが堀江氏の言うところの何が違うのかを示すべきです。

そして、どういう観点をどうしたら実現できるのかと言う代替案まで示さねば、それは単なる勇敢な実践者をこきおろすだけの野次馬です。


まとめ


研究者・学者
できるだけ客観的に根拠を示して、批判・判断をして意見を述べるのが仕事
批判するならできるだけそのアイディアが次につながる提案を述べる


実践者
主観的な判断でも良いので、自分の判断を勇気を持って行動に移す。
本当に成功すると、根拠が無くても思うのであれば実践し成功して証明する。


世の中がお互いを尊重して相乗効果を起こしてくれることを期待して、ぼくも果たすべきことを果たして行きたいと思っています。