人生かっぽ

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人生かっぽ —佐藤大地ブログ

哲学、言葉、人生観、仕事、恋愛、など人生をかっぽするような物語をつむぎます。宮城県 仙台市を主な活動拠点とする佐藤大地のブログです。2014年からEvernote公式アンバサダー。大学院では政治学を研究していました。

春から大学でたくさん本読んでやると思っていた自分が気づかされたこと

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今年度こそはたくさん本を読んで知識をつけよう。
誰よりも物知りになろう。

そう考えている人に言いたいことがあります。
本を読むよりもまず議論をしよう、と。


僕は議論をすることで、自分の考えることに幅が出ました。
議論がなければきっとつまらない人間だったろうと思います。

本を大量に読んだところで面白くはなれないと見せつけられた

図書館にこもっていた入学当初

大学に入ったばかりの頃の僕と言えば
図書館にこもっていました。

知識欲に溢れていました。

すごい人のすごい知識を頭に入れること。
それができれば世の中で一番頭が良くなれるし。
そういう人間が格好よくてすごいと思っていました。

旧帝大大学図書館はさすがに大きくて
友人を作る必要性も感じずに、図書館にこもっては
乾ききった喉に水を流し込むようにがぶがぶと本を読みました。

「これを読み切ったら一体自分はどれくらい世の中のことが分かるのだろう」
そんな気がしていたのです。


けれども

読んでも読んでも本はなくならない。
毎日のように本は溢れてくる。
誰よりも物知りになって最強になるという道に疑問を感じ始めました。


面白いと評価されるのは、自分よりも本を読んでいない人間だった。

しかし、そういう自分にショックがやってきました。

大学に入ってできたある友人の存在です。

彼は自分よりも本を読む人間ではありませんでした。
ただ、本をそこそこ読んではいたけれども。

彼と話していると、彼のほうが面白かったです。
自分が読んだ書籍から切り出した話題に対して
彼は小説などから視点を加えて来たり
自分が実際に見た事実から切り返してくる。


本を読んでいるはずの自分よりも
彼のほうが周りから「面白い」と言われていたし
僕も彼が面白いと認めざるを得なかったんです。
ショックでした。

そういうことがきっかけで少しずつ疑問を持ち始めました。
このまま本を読み続けるだけの生活に。


デカルトの言葉に出会う

ある日ドイツ語の教科書を読んでいたときに
デカルトの逸話が載っていました。
学校で超優秀だったデカルトが18歳のときに言ったそうです

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「書物を捨て、猶予のない決断を迫る「世間という大きな書物」の中に飛び込んでいくことを決意した」

と書いてありました。

つまり

もう書物じゃねえよ、おれの見るべきものは世の中だよ

と。


何だか本を読むだけが全てという僕が馬鹿にされたような気がしました。
抱えていたもやもやを言葉にされた気がしました。


知識を増やしただけであなたの面白みなんて増えない。

どれだけ本を読もうと、知っていることを増やそうとも
自分が何か新しいことを言う。そのために大学という場があります。

「あなただからこそ考えられることは何なのですか?」
と問われ続けます。

大学に行く意義は
高度なレベルの知識が文献として資料としてあるからではありません。
高度なレベルの知識や文献を求める学生が集まっているからです。

その中で「私はこう思います。なぜなら〜だからです」が言えて
その意見が納得のいく意見である人が面白いと評価される。


だから、議論をしよう

まず読もう

そうは言ってもやはり何かを見ずにいきなり考えることは難しい。
だから本を読む。新聞でも良い。ウェブニュースでも良い。
とにかく何かを見て、話のタネにする。


人に話そう。議論をしよう

何かを頭に入れたらそれを誰かに話しましょう。
話すことで自分とは違った視点が入るから。
「昨日本を読んでいたらさ、こういう話だったよ。こういう点が面白かったよ」


そのとき気をつけたいことがあります。
「違うよ」というような、異論や反論が来ることを楽しもうということです。

異論を唱える人は仲間です。敵ではありません。
なぜって自分のアイディアを磨いてくれる力を貸してくれているわけだから。

ガンガン話して、ガンガン自分とは違う意見をもらいましょう。

仮説を言おう。


「◯◯さんがこう言っていた」
では自分が言わなくても良いです。本を読めば分かる。
それはあなたが言う意味=オリジナリティではありません。



で、大学では聞かれます。
「その本にそう書いてあるのは分かりました。で、あなたはどう思うのですか?」と。

「◯◯という方がこう言っていて、さらにこういうことから私はこう思う」
=仮説(予想・推測)

を言いましょう。
別に他人が言っていることに賛成しても構わないから、「私はこう思う」と言う。
それこそあなただから表現できたことです。

例えば
「◯◯という本で民主主義こそ人類の目指す政治制度だ。と言っていましたが、僕もそのとおりだと思います」
というように。


本当にそうか? と確かめよう


仮説はちょっとあてずっぽうで言ったことでもあります。
だから、色んな人から意見をもらったり、色んな事実と照らし合わせる必要が出てきます。

違っていることもあれば、ズバリその通りのこともあります。
そうやって一つ一つを納得がいくものか?と確かめて行きます


面白かったのがこの記事です。
最初に「こうなったら、ここの事業の株価は伸びる。なぜなら」と考えて
「本当にそうか?」と調べたり、議論して行った苦労のあとがすごく見えます。
瀧本哲史ゼミの投資分析で学んだ「リサーチの楽しさ」 : メディア・クエスター
http://bit.ly/PcM6Js




さあ、議論をしよう


このような流れが合わさって議論ができてきます。

僕は大学で議論する機会にあまり恵まれず、自分でこのような場所を作っています。
http://bit.ly/1dQlCsK
やはり、議論したいなあとか思っている人が来てくれたり
そうではなくても「色んな見方を知ることって大切ですね」と感想として言ってくれます。

知識は始まりにすぎません。議論をしましょう。あなたはどう思いますか? と問い続けましょう。