人生かっぽ

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人生かっぽ —佐藤大地ブログ

哲学、言葉、人生観、仕事、恋愛、など人生をかっぽするような物語をつむぎます。宮城県 仙台市を主な活動拠点とする佐藤大地のブログです。2014年からEvernote公式アンバサダー。大学院では政治学を研究していました。

佐藤ノート№10 〜 人生のバッター 〜

佐藤ノート
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中学の定期テスト前になると、
小学校のときは
なんて自由に遊べていたんだ。
と思った。
高校の定期テスト前になると、
中学校の定期テストは楽だったよなぁ。
と憂鬱になった。

年齢を重ねるにつれ、
昔悩んでいたことが
ひどく呆気ないもののように
感じることがある。
やはり幾多の苦難を乗り越えて、
今の自分があるのだから、
昔の自分に対してそうなるのは当然だろう。
難なく平方完成ができる自分は
掛け算に四苦八苦していた自分を
少し哀れに感じる。

受験時代を超えてから
よく思うことなのだが、
受験時代の苦しさは
それを通り過ぎた今でも
とても大きかったと感じる。
今でも
悩んだり、落ち込んだりするときが
たくさんある。
今まで全然味わったことのない苦しみに
襲われるときがある。
そういうとき、
あぁ、受験時代は楽だったよな。
とは全く思えない。
どうしようもない難題を解決したとき、
今の自分だったら受験時代を
きっとうまく乗り越えられるだろう
とも考えられない。
そして正直な話、
本当に戻りたくない。
嫌だから戻りたくないというより、
あの受験時代を乗り越えた、
「彼」を
本当に尊敬しているから、
年齢=成長=偉い
なんていう
短絡的な方程式で
語りたくないのだ。

人生における困難を
道だったり、階段だったりに
例える話を
よく聞く。
そういう比喩の仕方ももちろんあるが、
僕は自分の受験人生を顧みるに、
前後関係とか、高低関係につながる
比喩ができない。
今がずいぶんと偉く感じてしまうからだ。

受験における困難は、
ある時は150キロのストレート
ある時は落差のあるスライダー
ある時は未知の球種…
どうしても何かに喩えろ、と言われたら
そんな風に言うだろうか。
しかし、
もう一度、同じ球種が来るか、
違う人に自分と同じ球種が来るかは
分からないでいる。