人生かっぽ

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人生かっぽ —佐藤大地ブログ

哲学、言葉、人生観、仕事、恋愛、など人生をかっぽするような物語をつむぎます。宮城県 仙台市を主な活動拠点とする佐藤大地のブログです。2014年からEvernote公式アンバサダー。大学院では政治学を研究していました。

佐藤ノート№5〜「信心」と「信頼」〜

佐藤ノート
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予備校には
たくさんの刺激的な人がいる。
講師をはじめとした彼らは、
向こう何十年に一人会うか会わないかの、
変わった人生を歩んできたり、
変わった考えを持っていたりする人たちだ。
20歳を過ぎた人でも、
そんな人たちは刺激が強いのに、
ましてや高校を卒業したばかりで、
大人と言えば
親か先生くらいしか接してこなかった
予備校生には、
感受性を休める暇もない。

そして、
先生とはまた違った距離感。
友達のようで、先生のようで、
しかしどちらでもない。

そんな距離感に、
僕もまた、
予備校生活二年間で
感受性を休める暇がなかった。



信者


という俗語が浪人界にはある。
ある講師を慕って
その講師の言うことなら全部聞く。
その講師の講座なら全部取る。
そんな意味だ。

僕も一浪目のときに、
英語と国語の講師に対して
信者になりかけた(あるいは、なっていた)。
今思うと、
その講師のおかげで、

学力がかなり上がったことと、
今までのぞいたことのない世界を
話して聞かせてくれたことで、
僕は引き込まれてしまったのだと思う。
二浪目に入った時、
勉強を続けていくにつれて、
あの講師の言っていた勉強法は
もしかしたら
違うんじゃないか。
あの講師の意見には
欠点があるんじゃないか。
と思うようになった。
それは一浪で受からなかった
という恨みから出た気持ちではなく、
まっとうな「反論」だった。


二浪目、
勿論、大好きな講師はいた。
その講師の講座も結構取っていた。
ただ全て従うことはしなかった。
最終決定は自分だ。
受験するのは自分だ。
誰かと一緒に「心中」するのはよそう。
そう何度も自分に言った。



好きになって
嫌いになって
また好きになったときが
本当の付き合いが始まる。
僕はそう考えている。

100%好きな人も
100%嫌いな人も
この世にはいない。
自分以外は
自分ではない。
最初は自分との共通点を探して
居心地が良くなり
それでもやはり他人だから
自分の中には無い点を見つけて
違和感を持って嫌いだと思う。
それでも
違う点というのは
間違いではなく
自分の中には無い素敵な部分だ
と考えるように、僕はなった。


もし大好きな人がいたら
同じくらい嫌いな所を言ってみる。
もし大嫌いな人がいたら
同じくらい好きな所を言ってみる。
それができないなら
人を好きになる資格も嫌いになる資格もない。


人間って意外といいもんなんだ。